DORCHADAS -tusphointe-
「―――ナ―――ツナ―――ツナ!」
コポリ、コポリと、水底から気泡が逃げ道を探すように、浮かんでは揺蕩い、しかし弾けて沈み、を繰り返すような夢現の最中、無粋な音が俺の安寧を妨げようと、している。
「ツナ!ツナったら!!もう!遅刻しちゃうわよ!」
起きなさい、と俺の肩を揺さぶる手は、とてもよく馴染んだ力加減だ。
乱暴だった獄寺くんのものとは違う、強引ながらにどこか優しい呼びかけ。
「今日は獄寺くんと山本くんと、学校の図書館でテスト勉強するから早く起こしてくれって言ってたじゃない」
いいの?と続ける確認に、俺はガバリと布団を跳ね上げた。
「―――え、あ――え?」
「もう……やっと起きたわね。そのままさっさと顔洗いに行かないと、学校には間に合っても二人との待ち合わせには遅刻するわよ」
「―――っ!やばっ!」
ほっとくと二度寝しちゃうんでしょうしね。
ほらほら、と急き立てる掌に背を押されて壁に掛けられた時計を見上げれば、昨夜組み立てた起床予定時間を二十分もオーバーしている。
「どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだよ母さん!」
「はぁ……毎回毎回そう言うけど、母さんはちゃーんと頼まれた時間に起こしにきたんだからね」
それももう三回目!と三本立てられた指を突きつけられれば、反論も封じられるというものだ。
ぐっと口を閉じた俺は、ぶつけどころのない複雑な感情を持て余して、慌ただしく階段を駆け下りていく。
「朝ごはん、パン一枚だけでもちゃんと食べてくのよー」
「はいはーい!」
追いかけてくる声を背に、洗面台へと小走りだ。
「……あら、ツナ。いつもより早いじゃない」
キッチンからマグカップ片手に顔を出したビアンキが、おはようと目を細めていた。
「おはよう!でも実は遅刻寸前なんだよ!」
「知ってる。全部聞こえてたもの」
「朝からうるせーぞ」
「そうよねリボーン!」
いそいそとソファまで移動したビアンキは、はいエスプレッソよ、と小さなマグを差し出しながら頬を染めている。いやもう本当に……ビアンキの目にリボーンは一体どんな風に映っているというのだろう。
「って!呑気に観察してる場合じゃない!」
顔を洗って、着替えして!やばいやばいやばい!
「成長期の子供ほど朝飯じゃしっかり食べねーといけねーんだぞ」
「そうねリボーンの言う通りだわ」
リボーンの言うことが聞けないわけがないわよね、と凄みの増した瞳で玄関へと走ろうとした俺の首根っこを引っ掴んだビアンキに、
熱々に焼けたトーストを無理矢理突っ込まれた俺の苦しさなど、あらあら朝から仲良しねえ、なんて笑って見届ける母さんにとってはもはや日常茶飯事の、取るに足りない朝の一幕なのであった。
「ご、ごごごごめん山本!獄寺くん!」
「おはようございます十代目!」
「よっすツナー」
通常の登校時間よりも少し早め、人の少ない廊下を抜けた先。図書館の扉を勢いよく開けた俺は、つんのめりながらも転がるように室内へと飛び込んでいた。
書庫の手前、自習用のテーブルのひとつに向かい合って座っていた二人へと駆け寄り、両手をあわせて謝罪をめいいっぱい表現してみれば、
気にしないでくださいと逆に恐縮する獄寺くんと、遅刻っつっても五分だぜーと笑う山本が、座れ座れと確保してくれていた席を勧めてくれる。
「それに、あんまり騒ぎすぎると、先生に放り出されそうだしなー」
ほらあそこ、となんでもないことかのように指し示す山本の指の先には、司書の先生の般若一歩手前、といった形相がじっとこちらを見つめていて。
ごめんなさい、すんません、とサイレントモードで平謝りする俺を尻目に、すげーなツナそれおもしれえ、と笑う山本も、大丈夫ですよ十代目何か言ってきても俺があの司書を黙らせてみせます、と
どこから取り出したのかわからないダイナマイトをちらつかせる獄寺くんも、朝から元気に通常運転です。全くもっていつも通りで……ええまあ本当になによりですとも。
「ヘーヒバイヒング?」
「はいそうなんです!大通りの一本先に新しくできたお店なんですよ!」
購買で買ったパンを抱えて中庭に降りてきた俺と獄寺くんと山本の下へ、ルンルンと鼻歌を歌うハルとニコニコ見守る京子ちゃんがやってきたのは、一個目のホットドックを口に入れた直後だった。
「ん………むぐ……ん。そういえば母さんも行ってみたいって言ってたような気がするけど……そっかそんなのができたんだ」
「そーなんです!九十分食べ放題で、今は開店記念のベリーフェア中なんですよー!」
目を輝かせて語るハルは、俺へ向かって前のめりに上体を傾け、今にも襲いかかってきそうな勢いだ。
いやまて、京子ちゃんの前だぞ、そんなに顔を近づけるなっ!
「そういやてめー、野球サークルのミーティングはどうしたんだ」
「さすがに試験一週間前は先生に止められちまって活動休止なんだよ」
つまんねーけどしかたないんだよなー。
俺とハルのやりとりをわざと見ないようにしているのか、おそらく巻き込まれたくないのだろう、二人は視線を明後日の方向に投げつつそれぞれのパンを頬張っていた。ずるい。
「でもま、試験前と試験中……最終日まではお前らと一緒に飯食ったり帰ったりできるからいいって言えばいいんだけどさ」
「そう!そこですよ山本さん!」
あなたはいいことを言いました!とビシリと山本を指差したハルは、俺から離れて腰に手を当て、仁王立ちで俺達を見下ろしている。
えらく鼻息が荒いところが、顔だけはいいはずのガッカリ美少女っぷりを体現しているといって間違いない。
「試験最終日、全てのしがらみから解放された私達は、いざゆかん!ベリーフェアなのですみなさん!」
「「「いってらっしゃーい」」」
「ふぐあ!普段全くそろわない山本さんと獄寺さんまで声をそろえるなんて!」
がく、と項垂れて四つん這いになったハルはどんよりと暗雲を背負ってしまった。
「えーっと……つまりね、全部の試験が終わったら遊びに行かない?っていうお誘いなんだけど」
どうかな、と小首を傾げる京子ちゃんは、文句なしの学年一の美少女ですとも!そんな彼女からの誘いを、断れる男子がいるというのか!
「でもケーキだろ?甘いもんには特に興味ねーし」
いたー!
「うーん……俺も別にケーキはなー」
な、ツナ、とこのタイミングで話を振られるのは非常に辛いものがあるんだけど……山本よ。
四対の目が俺をじっと注視していて居心地が悪いったらない。
「でもでも!ケーキだけじゃないんです!パスタとかピザも食べ放題ですし!」
「山本くんっていつもはサークル活動で放課後一緒に寄り道とかあんまりできないでしょ?だからたまにはいいかなって」
なるほど、と息を落としながら、俺はふと口元に笑みを浮かべていた。
二人の食い下がり様に何か裏があるのかと思ったけれど、おそらく、京子ちゃんの言葉こそが本音そのものなのだろう。
早朝も放課後も不在がちな山本とは、休み時間か休日が主な共有時間となる。いつもとは違った場面で、場所で……たまには。
「……うん。いいんじゃないかな。行こうよ」
「じゅ、十代目が行くなら俺もお供します!」
「ははっ。そーだな。たまにはいいよなそういうのも」
じゃあ約束です!と小指を差し出したハルに、笑みを苦笑に転じつつ応じたのは、なんだかくすぐったい気分になったのを誤魔化したくなったから、かもしれない。
以上、本文より一部抜粋